不来方のお城の草に寝ころびて

代替文


 空に吸はれし 五十の心。正確には「五十一の心」ね。語呂が悪いなあ。いや、いま盛岡にいるわけではありませんよ。


 昨晩、ワタシが「ポテトサラダをハムで包んで揚げてある」というハムカツとコロッケを足したようなアテ(200円)で一杯やって帰ってきて、Twitterを見てみたら、盛岡の方で、やっかいな再開発話が進展しているという。盛岡のお城のところにある桜山神社の参道、つまり、かの[白龍]も[パイカル]もある、そしてワタシが幼い頃の夏休みを過ごした、あのゴチャゴチャした飲み屋街が潰されそうなのだ。


 見ず知らずの方のblogですが、おそらくこれが一番的確でわかりやすいと思われるのでリンクさせていただきます。

『現時点での桜山問題のまとめと感想』
http://blog.livedoor.jp/alrightya/archives/1261325.html


 うーむ、なんだかなあ。ワタシは本来の地元の人間ではないので、エラソーなことは何も言えませんが、街に路地なくしては、街に肝なきが如しではありませんか。肝なくしては滋味もなし。街の滋味薄ければ、訪ね飲み食うの悦びもまた薄く、訪ね飲み食うの悦びなくしては人としての味わい薄し。つまりは人の味わい薄くてもよしということか。そういう「進歩」には、どうにも期待できない。と、たくさんの路地を徘徊して、そして失った経験がゆうとります。


 あ、結局エラソーなことを書いている(笑)。悪い癖だ。


 と、今日の日記を書くにあたって、ワタシの個人的な盛岡との関係を書いた文章(たしかe-STATION時代のWEBコラムだったか……)を探したんですが、見つかりまへんでした。ネットワークに吸われし五十の嘆息。