それは大人としていかがなものか


 渡辺祐が19時をお知らせします! ぷっぷかぷー。それは大人としていかがなものか。しかも「19:01」になっちゃってるし。

 選曲、コラムなどなどの2010年1月5日火曜日であります。遅れに遅れているジャケット仕事の船を海に出したいのに北風の逆風強くして今日もなかなか出稿の出航を果たせず。大海原に向かって叫ぶことしかできないオイラなのでありました。

 「仕事しろー!」

 いや、だからしているんですが、暫し遅れが出ております。巻きます。今年は。巻かないともうカラダが追いつきません。うふふ。

 平成になっちゃって20年余。21世紀になって約10年。その間、なんだか同じ事を延々とやっているような気になったりもしていますが、間違いなく「アウトプット」だけはしてきております。同じ仕事はひとつもなく。そうしなきゃ稼げませんからね。ただし、その多くが編集者としてのお仕事なので、どんだけ「アウトプット」してもゴールがない。新しく集めて編むのがエディトリアル。古いエディトリアルは(ほぼ)記録に残ることなく時間の彼方へと消えていく。少しは記憶に残ればそれでよし。取っておいてもらえればなおよしですが、部屋は満杯で住みづらい。

 と、ここまでつらつら思って気づいたんですが、これまさに「紙」の発想。音楽で言えば「盤」の発想。その旧来の発想をどれだけ現代に「活きた」スタイルで混在させられるかを考えないといけないのよね、と、遅ればせながら。

 例えば、原稿や写真のような「コンテンツ」をWEB経由で集めたり編んだりして、それを本にする、という手法はもはや当たり前。当たり前すぎて、興味を誘う芳香が出てなかったりするじゃない。クチコミWEBコミつぶやきコミで「広報宣伝」を仕掛けるのも当たり前。そこにかつては「広報宣伝」が醸し出していた芳香や燻煙はあるのかしらとふと思う。現実と夢ん中の糊しろがエディトリアルの「芳香」や「燻煙」なりと、もう一回考えてみたりして、眠くなる。

 とかなんとか。真面目なようでいて、ちいともまとまらない。ので、このへんで。だから、それは大人としていかがなものか!

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