追悼は追悼を呼ぶことがわかった
オカルト的な意味ではないのです。この歳になると、という意味なのです。
先日、池袋のラブホテル街を抜けて見舞いに行ったばかりの我がソウルマスター、シーラさんが亡くなりました。
写真はね、わかる人にだけわかってもらえればいいのですけど、「SHOE SHOE SHINE」収録アルバムです。R.I.P.
【こないだの日記】
http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/20090710
【ずいぶん前の再会記録】
http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/20070816
【泥酔ソウル仲間のハタケさんのblog】
http://d.hatena.ne.jp/hatake-1961/20090720
どうやらワタシが訪ねた数日後のことのようです。
朦朧としながら一生懸命しゃべってくれて、別れ際に「どうもありがとう」と言って明治の板チョコを一枚くれました。
「お見舞いに来てくれた人にお礼であげてるのよ」。
ワタシは「師匠」と呼べる人をまた亡くしました。
師匠だなんて、やあねえ、おじいさんみたいじゃないのよ、タスクちゃん。
板チョコはね、まだ手つかずでデスクにあるわよ、シーラさん。