「本物のニセ者」に賛成の反対の賛成なのだ


 STAGE & BACKDOOR/JUMPIN' AT THE CUCKOO VALLEY [DVD] ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝 キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション


 昨晩は、吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズ@Qトロ。おっさん(&おばさま)で埋まる客席を相手に3時間。長い(泣笑)。ゲストはLeyona。いい娘だねえ(笑)。Leyonaさんの小山マネが転職(?)なさることに。お疲れさまでした。ボス時代もLeyona時代もお世話になりました。また会おうぜ〜。

 しかし、Qトロもリキッドも、もう少し酒が美味くなんないかなあ。

 先週、「大研究 ヤクルト 高田繁という静かなリーダー」という記事が読みたくて買った「週刊現代」。岡本一宣さんのデザインになってから格段と読みやすくなりましたなあ。で、その号で大橋巨泉さんが連載「今週の遺言」でマイケル・ジャクソンについて書いていた。タイトルは「マイケル・ジャクソンはすでに『歌手』ではなく セレブリティーになっていた」。ふむふむ。

 いきなり、世代も違うし好きなジャンルでもないのでマイケルには興味がなかったという書き出し。そりゃそうか(笑)。いわく「もともと踊りながら歌うというのは好きではない」ときましたよ。あら、そうなんだ、巨泉さん。その後にいろいろな往年の名シンガーの例を挙げて、「(大歌手には)踊る人なんか一人も居なかった」とおっしゃる。うひょう、じゃあ、踊りながら原稿を書いているワタシなんぞ叱られるに決まってるわあ。そこからはアチラの新聞の記事などを引用しつつ、マイケルの「CM撮影での火傷」「父親コンプレックス」「整形」といったトピックをきちんと取り上げ、本物かニセ者かわからないセレブリティーって何だ、と展開する内容であります。(以上、週刊現代 2009年7月25日号より)

 この巨泉さんのエッセイを読んで思ったのは、本物かニセ者かわからない、という、そこんところへの意識の違いでありますな。「本物志向」の側から見ると、確かにマイケルが抱えていた「虚」は許し難いでありましょう。ましては凡百のセレブにおいて、その「虚」の虚ろなことといったらば、ねえ。なので、そこはわかる、ワタシも。

 がしかしなのです。ワタシは、もうその「虚」も楽しめなくては楽しめないほどに「ニセ者志向」に首までつかっているわけです。それが「本物」であるか「ニセ者」であるか、その判断基準は持った方がいいかもしれませんが、その上で「どっちも好きでごめんなさい」なのであります。安いカラダだわよ、そりゃ。

 マイケルがガキの頃から現在まで常に衝撃的だったのは、最後に残された彼の呼び名である「KING OF POP」が示しているようにですね、POPであり続けたことであります。POPな存在、メディアに乗る人、つまりは「商品」として優れていること、それと「なんかの魂」を交換したんですよ、マイケル先輩は。それが「いいか悪いか」という話ではなく、その結果として彼に宿ったパフォーマンスに熱狂したある時代を、ワタシはちいとも「ニセモノだ」とは思わないのであります。言ってみればマイケル・ジャクソンは「本物のニセ者」なのです。わかるかしらん?

 ワタシは「本物」を知ることにやぶさかではありません。確かに勉強不足ではありますが。確かに芸能はすべからく「本寸法」あってのものですが。でも、だからといって「本物」だけが「本物」であるとは思わないというお話でした。「ニセ者」の中に「オレの本物」を見ちゃう志向性をサブカルと呼ぶような気がいたします。

 てなことを考えながらちょっと思い出してみたら、70年代にガキだったワタシが必死になって見ていたTV番組の中の大橋巨泉さんこそ、当時、周りにいた大人たちのコンサバな空気を一新するような「本物のニセ者」だったじゃないですか。うっしっし。はっぱふみふみ。

 あ、そうそう、その週刊現代に「今週のうまいもの番付」なる新連載あり。一回目が「魚のうまい居酒屋」です。くう〜。巻末には「横丁のグランプリ」なるグラビア特集もあるし(1位は赤羽のOK横丁でした)、さすがに機を見るに敏ちゃん。



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