ニャンニャン問題 AND THE CITY

代替文


 ここ数日、「モノの見方を変えると」について考察していたのである。角度を変えてモノを見てみれば、例えば「犬の散歩」とは「動物の糞を拾って歩くこと」である、といったような。「食事」というのは「栄養と排泄物を摂取すること」だしなあ……と、いろいろ「言い換えてみる」と止まらなくなった。誰かワシを止めてえ。


 いずれにしても、たぶん「笑点」とかって、基本的にこのセンスでできあがっているわけであります。まあ、すべてのレトリックが、と言ってしまえば、それまででもある。


 きっかけはですね、猫ひろしさんがライヴで「SEX! セックス!」みたいなワードを連発した後に、「すみません、汚い言葉を言いました。反省してきれいな言葉を言います」……「洗った雲古! 洗った雲古! 」って叫んだのが妙に可笑しかったからである。洗った雲古。確かに一瞬きれいな気もする。


 中吊りマニアとして今日も今日とて中吊りのパトロールをしていたら、「anan」が特集タイトルでぎょっとするようなことを言っているぢゃないの。

「SEXは 恋で もっと ときめく!」


 えええええ、SEXが、恋で、ときめく! つまりこれはあれか、もうSEXが分母ってことか。恋はトッピングにしか過ぎんってことなのかああああ。モノの見方を変えてみるもんだねえ(と渋茶を一服)。


 違いました。よーく読んでみたら↓

「SEXで 恋は もっと ときめく!」

 an・an (アン・アン) 2008年 8/6号 [雑誌]


 でした。なーんだ。「てにをは」には注意が必要だ。もう少しで「SEXに 恋で もっと ときめく!」とか読み取りかねないぞ。微妙だろ、ニュアンスが(笑)。朝からてにをっは〜。なんつて。


 いや待て待て、なーんだとか言ってる場合じゃないんじゃないか。なにしろこれは明らかにSEXのススメである。まあ、はしたないざます。はしたのりひこ。それははしだ。そうだそうだ、はしださんの頃は花嫁は夜汽車に乗って嫁いでいったんだよなあ。命かけて燃えた恋が結ばれるのだ。それでいいのだ。何の話だっけ。


 そうそう。モンダイは、いったい我が国はいつから電車内という公共のスペースに堂々と「SEX」って書いてよくなったのかということなのではないか。いやあ、おじさんがガキの頃なんかさあ、その単語を口にすることすらアルゼンチンですよ。これが本当のアルゼンチン単語。友だちと小声で「……セックス」って言って顔赤らめてただろ、オレ。いやーんDT。少なくとも高部さんのニャンニャン事件(1983年)ぐらいまでは、わざわざ言い換えていたわけですよね。ニャンニャン(笑)。ハンパしちゃってごめん。ワタシはどちらかと言えば倉沢淳美派である。

【80年代的言い換え例】

 映画『SEX AND THE CITY』→『ニャンニャン・アンド・ザ・シティ』または『ちょめちょめ・アンド・ザ・シティ』

 Sex and the City


 うっかりしていた。『SEX AND THE CITY』だって堂々とはしたないのである。ラジオで発音してもいいのであった。ポルノグラフィティもね。つまり、もう電車の中吊りに何を書いてもいい時代なのであった。SEXをオススメしてもいい時代なのであった。見方を変えれば「電車の中に堂々とSEXしろと書いてある国」だなニッポン。これは日本語を大事にする、特にカタカナ語の氾濫に批判的な丸谷才一先生(横浜びいきらしい)なんかにとっては、もう口角泡の事態ですな。外来語である上にはしたない。まあ、「性行為で 恋は もっと ときめく!」って書かれても困るわけだが(笑)。「合体で」はもっといかん。「挿入で」……よしなさい! しかし、そういった向きから叱られないのか平凡出版、いやマガジンハウス。……と、書いてから調べてみたら、丸谷先生のご本も出版してましたマガジンハウス。へええ。


 といったことをワタシは朝の電車内で、向かい側に座って一心不乱にマツゲをカールなさっているお嬢さんを眺めながら考えていたのでした。なぜお嬢さん方の生足は必ず蚊に喰われているのであろうか。


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