こんがらがってきました


 [ムルギー]へのリヴェンジを果たした火曜日。いい天気でしたなあ。


 いまね、「1日分」の野菜を摂取しているのボク、なのであります。そうです、ジュースです。野菜ジュース。コンニチのニッポンにおいてはそれ一本で「1日分」の野菜が摂れる、ということがスタンダードになっちゃったらしいのである。そんなのばっかり売ってます。

 コレ、本来は「現代人は野菜が不足がち」→「なので人参など十数種類も野菜が入ったジュースで補給する」という「ゲンダイジンニンジン理論」なんだと思われる。でもね、朝にコレを飲んだとしたら、ふとこう思ってしまうじゃないですか。「ああ、これでもう今日は野菜を食べなくてもいいのか」と。

 本末転倒じゃないか、キミィ。健康にいいので野菜を食べましょうという考えは、そこにはもう無いに等しい。健康にいいのでジュースを飲みましょうでしかない。野菜が「おいしい」ということとは全く別の次元なのである。

 こうなってくると、次の発明はですね、「3日分」の野菜とか「1週間分」の野菜とかのジュースだな。作れるんじゃないのかしら。ゲンダイジンのニンジン・テクノロジィを駆使すれば。

 一本で「3日分」となるとですね、まあ、言ってみれば「その3日間の食生活」の売掛金を立てるようなものであります。ま、先物取引に例えてもいいでしょう。いずれにしても先々にもその「野菜」が「ある」という状態になるわけであります。なんとなく違う気もするけんど。

 まあ、それが野菜の内はいいけれど、この「売り掛け」と「買い掛け」が他のことになるとやっかいである。企業の帳簿はしょうがない。それはそういう仕組みだからである。よく知らないがケイザイの偉い人が考えたことなので太刀打ちできるわけがない。なにせそのあたりの理解力は高校生以下だからな、あっはっは。さすがB型、あきらめが早くて清々しい。

 例えば「現代的な宵越しの銭」がそれであります。本来は江戸っ子の暮らしっぷりに使う言葉ですが、ま、とにかく「今日稼いだ金は今日遣う」というハッスルな発想、ドゥ・ザ・ハッソウであります。コンニチのニッポンにおいては、たいていが月給のことが多いので、なかなかこの発想に至らない健全な経済感覚の方ばかりなわけですが、日給月給の方、はたまた我々のようなフリーランスは注意が必要なのであります。なぜかと言えば「今日は日給で1万円稼いだから5千円ぐらい飲んじゃおうかしらん」とか、「今日は特集原稿書いて、そのギャラがたぶん5万円だから、うわっほう、欲しかった3万円の靴買っちゃおう」とか、そういう考えになりがちだからであります。入金はまだなのに、ですよ。

 つまりは自分のココロの帳簿に「売り掛け」を立てている。で、出費はそれ以内だからいいやと思っている。ところがですね、これがまたそういう時に限ってお調子に乗っているもんでお銚子もノッちゃってメートルも上がっちゃって店にハシゴもかけちゃって、気づけば1万2千円ぐらい飲んでいたりするのであります。するとこう思うのです。「まあ、いいか、1万円は稼いだから……マイナスは2千円だな……明日稼げばいいか」って。

 まあ、それは間違ってもいないわけですが、その1万円分の現金はまだココにない、という意味では間違ってる。クレジットカードも影響しちゃうしねえ。こうして「現代的な宵越しの銭」は、無いのにあることにして遣われていくわけであります。いよ、江戸っ子だね。←だから、違うっての(笑)。

 これはまだお金の話だからいいのである。わかりやすいから。例えば「夢想」や「妄想」はどうなんだ。なんとなく「将来はこうしたい」とか「いつかアソコに行ってみたい」とか「素敵な王子様はこないかしら」とか夢を見る。この歳になったって見る。男は誰もが永遠の高校2年生だから。……ん? 王子様?

 そこで自分に「夢」ないしは「妄念」という「売り掛け」を掛けている。いやまてよ、それは「買い掛け」かな。「回収不能な売り掛け」かもなあ。でも「支払不可能な買い掛け」のようでもあるし、えっと……ま、わかんないや(笑)。

 いずれにしてもヒトは自分に「売り掛け」や「買い掛け」を掛けている気がしてきた。だから宝くじ買ったりパチンコ行ったりレジネッタに賭け損なったりしているに違いない。「1日分」どころか「一生分」の野菜が欲しいに違いない。

 ココロの帳簿のバランスシートは、右と左が合ってない。決算時に必死で再計算である。

 といったことを考えていたら、「片思い〜恋の売り掛け回収不能」っていう曲タイトルを思いつきました。作詞しようかな。流行らないっての、ゼッタイ。

 なんの話だったっけね(笑)。あ、ジュースか。


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