中年サンデー、やや放浪ぎみ

代替文


 機嫌の悪いときに散髪に行くのはよくない。特に休日は混んでいて待たされたりして、言ってしまえば面倒なのである。しかも、もうすでに「髪型などない」のであるからして、今日は散髪ね、うふふ、とっても楽しいわん、なんて思っているわけがないのである。毛が裕福な皆様はカッコイイ髪型を追究するために散髪をするが、毛が貧相な方は現状を維持するために散髪をする。この頭髪の格差社会においては。だから逆にマメに行かなくちゃならないんですよ、お嬢さん!
「薄くなる 散髪回数 反比例」(渡辺祐純情詩集「薄毛の地平線」より)
 とまあ、そんな中、加えて機嫌が悪いとなると、できあがったアタマに対してぞんざいになる。後ろアタマ(あんまり見たくない)に鏡を当てられて「どーですかぁ?」と聞かれてホントはちょっと手直しをお願いしたいところでも、まあいいかあ、と雑にOKしてしまって、翌日あたりまでハゲしく後悔することになる。仕方ないので自分を自分でハゲましてなんとか乗り切ることになるのである。


 というわけで、今日は機嫌がいいので散髪に行ってきました。ついでに小田急相模大野駅前に現存する「基地の街の名残」でもあるレストラン[イタリアン・ガーデン]に足を運んで“昔ながらの”ナポリタンをいただく。このお店は終戦後、基地の街となり、駅前には米軍病院がどーんと構えていた相模大野で米軍の兵隊さん、将校さんが集った……という由緒正しい(?)イタリアン・ダイナーであります。ワタシは1987年頃に鶴間にあった木造ディスコ[シルバースワン](ここの話はいつか書きます!)や大和のお店など、他の「基地とキャンプの県の残存物件」をまとめてBRUTUS誌で取材した思い出あり。まず、外観が渋い。木造。砂利が敷かれた店の前の駐車スペースには木々が植えられ、トビラの上に夜には灯りが点る「OPEN」の看板。外見もぐっと来ますが、中はもっとぐっと来ますよ。床は板張り。すでに傾いでいる。白いテーブルクロスに赤い椅子。あたたかな電球の照明は昼も薄暗く、各テーブルにキャンティにキャンドルのお約束。しかもである、驚くべきことにですよ、BGMはジュークボックス! 静かに流れるポップなクリスマス・ソング。おっさん独り、ちょっと思うところあって購入した雑誌『SAX & BRASS magazine(サックス&ブラス・マガジン volume.01(CD付き))』を読みながらナポリタンをもそもそ食うの図が実に似合うのよ(笑)。


 もそもそした後、クルマにてJ-WAVETOKIO HOT100」とTOKYO FM山下達郎・サンデーソングブック」をザッピング(J-WAVEには秘密だぞ!)しながら出社。達郎さんがChairmen Of The BoardとかWilliam DeVaughnとかを渋くかけてる時にJ-WAVEスキマスイッチのインタヴュー。逆っぽい。いや、ぽくないのか、オレがしゃべってるぐらいだから(笑)。用賀インターのあたりは砧公園からの落ち葉が車の周りに舞っている。そんな車窓からの冬景色。冬っぽい晴天とナポリタンと薄毛とSAXOPHONEのことを考えながら、ちょっとクルマを止めて、プレゼントされたライターで煙草を一服。中年の醍醐味だな。渋谷TOWERで達郎さんのCDを買う。持ってない盤もあるんだな、これが。


 基地の街でナポリタン→ラジオからオールディーズ→山下達郎→ナイヤガラ→WORKSHOP MU!→小坂忠。幣事務所ドゥ・ザ・モンキー君塚太が編集した小坂忠さんの単行本が発売となりました。小坂忠さんは、60年代末に細野晴臣さん、松本隆さんとエイプリル・フールを結成、ソロとして1975年には名盤『ほうろう』をリリースした伝説のミュージシャン……って説明いらないですね。その後、クリスチャンの牧師となり、ゴスペルのレーベルを立ち上げてからは自身の音楽活動は休止。2001年に細野さんのプロデュースで25年ぶりのアルバム『People』でシーンに復帰しております。
 その60年代から現在までの道程を静かに綴った自伝的エッセイが『まだ夢の続き』(河出書房新社刊)です。時代のスピードとは別のスピード感で自分の音楽を奏でている、そんなひとりのオトナがいる……そういう想いにさせられる本になりました。巻末には細野晴臣さんとの対談も掲載されています。


小坂忠著『まだ夢の続き』】

まだ夢の続き
ほうろう People き・み・は・す・ば・ら・し・い


 思えば、信念を持ってなにかを達成する根性なんてものにゃあ、とっても欠けている。あ、ワタシのことですよ、しかも日本語出鱈目よ(笑)。性格だから仕方がないというセルフ意見もあるが、情けないという思いもある。でもってプライドと頑固さだけは妙に育つのよねえ、40代後半。しらけちまうぜ。謙虚さと信念と、できれば頭髪も育て、と思う初冬なのでありました。

「明けまして年男 壊れるまでの ひと働き」
「明けまして年男 末枯れちまうにゃ 分別足らず」(渡辺祐純情詩集より)


 あ、追伸というか余談。ギリギリですがヴェトナム戦争を知っているワタシたちの世代は、相模大野のね、その米軍病院に、毎日ヴェトナムから兵隊さんが運ばれて来ていたことを知っている。どんな形にせよ。ヘリコプターの音も覚えてる。だからさ、「軍の放出品」って買う気がしないんですよ。今はその病院もなくなって、伊勢丹と公園とマンションです。