センチメートル
しかしまあなんですな、桑田真澄投手の「お別れ」という文章は、なんだかもう感傷的で、センチメンタルおやじを自認するワタシとしては、同じニオイを感じつつも、とっても情けない。だって書き出しが「友へ」ですよ。うひょう、そんなのオレにも書き出せねえぜ。桑田選手ならぬ桑田センチ。
センチメンタルおやじ、というのは、身近なところではヴァレンタインデイやクリスマス、夏休みやらFUJI ROCK、といった「ヤングが盛り上がる季節・イヴェント」に接したりした際に「ああ、オレにゃあもう関係ねえのかしら」などと物思い、ココロの中の「置いていかれた青年」がしくしく泣く、といったような心持ちのオッサンのことです。桑田さんの場合は「置いていかれた200勝投手のオレ」か。何かを失う、ということもオセンチのメートルをミリ単位で上げますからして。傷心しやすい。傷心者。傷つくね。でもオトナのふりしていい笑顔キープ。でもロンリー。なのでそのダメな自分にまた傷つく(泣笑)。でもって、そんなオセンチモードの時に限って心なしかブンガク調なオノレ(あくまで調ね、家具調みたいな)がにょきにょき顔を出すのが文化系の面倒臭いところなわけですよ。超格好悪(笑)。桑田さん(佳祐さんじゃない方の、ついでにマキさんでもない方の)は文化系なんですね、たぶん。投げるセンチメンタルおやじ。いやーん(背番号18という意味です)。
そのオセンチのメートルを上げないようにする方便として「ちょい不良(ワル)」とか「ちょいロク(デナシ)」とか、オモテ面をなんとか誤魔化してる気がするのはワタシだけでしょうか。ナカ面の方はどうなってるのかね、ちょい不良。
さて、数日前に「あさなまたろう」問題に触れて「変読」について書きましたが、おわかりのない方に説明不足だったかもしれません。「変読」というのは、80年代末の宝島誌でワタシが編集していました投稿ページ「VOW」の中で、みうらじゅんさんが始めたコーナー。「変読とは、文字通り読み方を変えるコト、人名にフリガナをふるだけでイメージを180度ひっくり返す必殺の凶器攻撃であります」って書いてあります(1988「VOW MEGA-MIX!!?」より)。書いたのオレだけど。以下、変読サンプル。風呂あがり寿さん(元読者?)のコメントも参照してください。林家こぶだいら。
梅宮辰夫(ばいきゅうとらお)
三田村邦彦(サンダーソンくにひこ)
岡本太郎(おかぽんたろう)
小田和正(おでんおしょー)
郷ひろみ(ふるさとひろみ)
新沼謙二(ニーヌ・マッケンジー)
藤巻潤(ふきまきじゅるる)
……く、くだらない(笑)。怒られますよ〜。ま、そんなことを仕事と称して遊んでいたらこんなオッサンになりましたとさ。で、いまちょっと調べてみたらmixiに「日本変読保存協会」なるコミュ発見! なんかわかんないけどすごいなあ、MJの影響力。MJの魂百まで。人生至るところにMJあり。MJ来たりて安斎さんがオカリナを吹く。←元ネタから遠すぎ?
というわけで、変読すると「わたりぺんすけ」でした。 以上です、編集長!
【BGM】ALEXANDER O'NEAL『ALEXANDER O'NEAL』1985
傷心しやすいセンチメンタルおやじには染みます、
M01「BROKEN HEART CAN MEND」。傷心治癒可能也。
この頃のジャム&ルイスはいいね、上品で。