いつかはその日が来るとしても

 今日がその日だとは知らなかった。

談志が死んだ

談志が死んだ

 家元、いや立川談志を生で見たのは、大学生の頃だ。金がないのであまりホール落語には行けずの寄席通い。例の分裂前でまだ談志さんは寄席にも出ていた。[池袋演芸場](当時は桟敷の寄席だった)で、その談志さんが10日間トリを務め、日替わりで大ネタをかける。そしてその前には若手とへんてこりんな芸風の噺家しか出ないという、まるで「フェス」のような席があって、それに毎日行った。そう思うと寄席自体が、ま、フェスみたいなものだ。

 そこから始まって、ホールでも何度も見た、聴いた。CDもDVDも買った。ボックスセットなんざあ、売るほどゴロゴロしてるてえぐらいなもんでして。本も買った。だいたい買った。「遺言大全集」も全巻ある。てぬぐいもあるし千社札もあるね。つまり、我が生涯(しょうげえ、と談志さん風にルビをふりたいところ)で最も金を使わせていただいた芸人さんだ。これは自慢である。家元もあるCDの中で「このCDを買った人は貸したりしちゃだめだよ。買ったヤツが偉いんだから」とおっしゃっていた。偉いぞ、オレ。いわばご贔屓さんだ。談志贔屓。最近では立川流贔屓かもしれないけど。

 本道と出鱈目がごちゃごちゃになっているという意味で、ワタシの中では、JBと双璧。ご冥福を祈るような、成仏なんかしないで、そこかしこに化けて出てもらいたいような気分である。まだよくワカンナイ。

 お、今、家元のサイトにある「今日の家元」をあらためて見てみたら、8月17日にこうあった「中日が優勝する」。くうう。

[今日の家元]
http://www.danshi.co.jp/diary.htm

 これ↑すごいので、読める人は読んだ方がいい。

 ちなみに、ワタシが最後に生で見たのは、一門会での高座(あれいつだっけ?)。かなりしんどそうでしたが「落語チャンチャカチャン」を演ってくれたのだ。……と、今、調べたら、2010年11月24日のよみうりホールだった。ちょうど一年。

平 林「浮世根問〜名古屋弁バージョン〜」
志 遊「笑い茸」
志らく金明竹
― 仲入り ―
談 笑「時そば
談 志「落語チャンチャカチャン 」
   「へっつい幽霊」

 自分で付けていた戒名「立川雲黒斉家元勝手居士」は使われるのだろか。