当事者意識がなければ歌わないだろ

オザケン/町に血が流れる時
http://hihumiyo.net/machi.html

電脳如是我聞 - 長尾メモ8 weblog/ロックンロールは結構鳴り止む
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20110412/p1
一色伸幸/「ずっと無知だったんだぜ〜」と自分を嗤いたい。
http://twitter.com/#!/nobuyukiisshiki/status/56557014804992000


 しつこいようだけど(実際しつこい!)、「ずっとウソだったんだぜ」問題に関して、Twitterに「あの曲に私が強烈な違和感を感じた理由は、まるで自分が無辜な庶民のように装っていて、当事者意識が欠落しているから。原発か反原発かじゃなく。」と書いた方がおらっさる。ワタシはそれは違うと思いますね。あの曲を聴いた瞬間に、「欺されていた」または「真剣に考えて来なかった」=オノレの怠惰への後悔が奥深く横たわっていると感じたもの。それは演奏者の意図としてそうだったのかどうだったのか、ではなくてね、こっちがどう受け止めたのか、ということです。欺されたとわかったとき、人は欺したヤツを恨み、そして欺された自分に絶望するのですよ。「ずっとウソだったんだぜ」にはその自分への絶望から、福島県民(の何パーセントか)の思いはそこじゃないのか、と、想像力を喚起させられる力があったと思うわけで。その「傷みの共振」を曲を聴いて感じ取ることができずに「当事者意識が欠落」とか書いちゃう気がしれんざんす。以上、この話は終わり。


 お腹が吹田市

夢に中ではうまく歌える/福島には原発が必要だった
http://d.hatena.ne.jp/ayua/20110411/1302526954

 というわけで、[龍の髭]でやたらボリューミィなランチ喰ってお腹も一杯になって、永田カメラとの撮影も終わって、余震に頭に来てたら、どんどん不謹慎なことが浮かんできたぞ(笑)。

【本日の不謹慎案(自粛解除)】

1)「プルトくん」の着ぐるみを発注したいなあ。(どこにだ? WAHAHA?)
  使い途は思案中。例「それを着てNYのカフェで新聞を読んでいる写真を撮る」。

2)毎年2月頃に「都庁前にたくさんの人が集まるイヴェント」があることを思い出した。
  来年はぜひ山田玲奈さんか猫ちゃんに出てもらって、応援に行きたい。
  どういう格好で応援に行ってもいいんですよねえ?

3)「スチャダラ2011」のサブタイトルに笑わせていただいた。バカだねー(誉め言葉です)。

http://natalie.mu/music/news/47719