自己責任において見てください

【ちょっと駄洒落まじりの腰つきなのがワタシらしいかと(笑)】
買い占めないで噛みしめようJAPAN。はじめました。


 でも、今日はシリアスマンで書こう。


 下に貼るリンクは「THE NEW YORK TIMES」のサイトにある震災写真のページです。


 悲惨な、過酷な状況を見たくないと思う人は、ゼッタイに見ないでください。


 海外のメディアは、そういう意味で容赦がありません。日本の報道に慣れている人には免疫がないから。


 しかし、考えた結果、あえて貼ります。強い気持ちと強い愛を持って。


 この写真の中で生きている人と亡くなっていった人のことを思うことにしよう。


 もう一度。心が折れていると思う人は見ないでいいと思う。

http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#113


 報道というのは冷徹であるということでもあります。メディア(特に大手)の心ない報道番組にはワタシも抗議します。でも、ひとつだけ言えるのは、報道する人に現場で救出の責務を負わせるのには無理があります。訓練を受けていないんですからね。人には、その人の仕事があります。東京にいる身であればなおさらです。


 その上で、メディアは何をしているのか。なう。報道って何だ。それは「報道」か。プロのテレビマン&ウーマン、プロのラジオマン&ウーマンは「どこを見て仕事をすればいいのか」。唸るように考えさせられます。


「メディアが今、どんな『仕事』をしているのか」をしっかり見張っておく。メディアが「受け手」を見ていない、感じていないんだったら、それを心にも実際にも記録しておく。必要に応じてあくまで冷静に声も上げる。でも、基本は「覚えておく」ことだと思います。


 それが読者や視聴者や聴取者としての「仕事」ではないかってことです。「市民」とはそういう存在じゃないかと。


 さあて、メシ喰ってJ-WAVEさ行くべ。肝の鍛えられる会議へGO!