フリマご来店に感謝しまーす!
コメント欄もすごいっす。愛してまーす。エヴリボデイ。
月曜日暮れゆく。曜日書いておかないと忘れそうだなあ。
立川談志家元が席亭を務め、家元が愛する名人上手異才鬼才の落語、漫才、色物の音源を集めに集めたCDボックスがある。タイトルは『ゆめの寄席』。ワタシのように微妙に昭和黄金期の落語に遅れてきた男には、そりゃもう夢のようなラインナップであります。生で見たくても見られなかった人がほとんどなんですから。
そのラインナップの中に林家三平さんもいる。収録されているのは当然「源平盛衰記」。その落語の後に三平さんが亡くなった直後の談志家元の高座が収められている。予定では、家元が出演したその10日間は、三平さんも出演することになっていたというのだから、まさに急死。1980年(昭和55年)9月20日、林家三平没。享年54。
「三平さんの思いで」と題されたその高座で家元は三平さんの思い出を時に優しく時に辛辣に語り、しっかり客を笑わせ、そして三平さん高座を物まねで演じてみせる。最後には「三平さんの高座が見られなくなってお客さんも淋しいでしょう」といった言葉でしめくくり、家元の「せーの」で客席全員が「さんぺーい!」と大声で呼びかけ、見送る。
赤塚さんに贈ったタモリさんの弔辞と並んで、ココロに残る「弔辞芸」。そこにタモリ芸の了簡と家元の落語家の了簡。渡辺和博さんのご葬儀での数々の弔辞もまた素晴らしかったのですが。
ナベゾさんと言えば、先日、みうらじゅんさんと対談をして、その席でも、みうらさんから「オレの葬儀の仕切りはよろしく」って言われたり、そのナベゾさんの葬式の話から「これからは弔辞が大事!」って盛り上がったりしたりして。不謹慎なのではなくて、明日は我が身だからです。ホントいつまでもバカでどーもすいません。←両名共にね。
【梅津和時さんのメッセージが染みる(ご報告感謝)】
【清志郎さんの「Oh!RADIO」の歌詞が染みる(ご報告感謝)】
http://funky802.com/access/
訃報は突然やってきて、そしてそこから流れる時間の不思議が積み重ねた時間を熟成させて「弔辞」というパフォーマンスを生むわけで、そんな風に時間にしか作れない、それこそ「LIVE」だと思います。
清志郎さんのことは、だいぶ前に、ずいぶんと書いてしまって、それが逆に心残りだったりする。
ここに書いてないことも、もちろんいろいろあります。不備は否めないわけですが、ま、個人的な思い出話なので、blogとしてはいいのかな、と思ったりもする。一部のWEBなんぞでワタシがRCのボーヤだったかのように受け取れる表記があるようですが、それは間違いでございまする。ワタシは生活向上委員会のマネージャーさんのお手伝いバイトをしていたのであります。1980年ぐらいに。それ以来、ボスは久しぶりに会うたびに「お、渡辺クン」と言ってくれたりしました。
そういえば、昨日はクルマの中で寝た。仮眠ですけど。フリマで疲れちったので。
今日はと言えば、棚の奥底に眠っていた「メリー・クリスマス・ショー」の自作DVD(ベータから焼き直しました)を掘り出したりしてみる。見るかどうかはまだわかりませんが。なんのこっちゃと思ったかたはWIKIったりしてみてください。出演者にも構成作家陣にも驚くことと思います。
とにかく複雑です。意外と泣けません。昨日、六本木ヒルズアリーナでLeyonaの生歌を聴きながらちょっと泣きそうになりましたが。そんな日に、そこに一緒にいたことがオレにはマジックです。彼女が最新作で「デイドリーム・ビリーバー」と「君が僕を知ってる」をカヴァーしていることも。Leyonaさん、さすがに、辛そうでした。いつもはあんなに大きく見える人が、なんか小さかった気がした。
ところで、ワイドショーなんかで「ロック歌手の忌野清志郎さん」って言われるたびに違和感を覚えるのはワタシだけすかね。