酒場にて酒を見る人と見ない人


 待っていろよ〜、韓国代表。


 晴れたり降ったり曇ったり、吹きも吹いたり疾風突風、舞い上がれ我が休日。とまあ、空も忙しい弥生三月。


 空も忙しいといえば、スネオヘアーことナベケンと一献かたむける機会をいただいた時の話である。といってもお互いにウーロンハイなので「一献」もへったくれもないっちゃないわけで。一献二献サンコーン。舞い上がれ我がメートル。イカは焼けたか干物はまだかいな。


 バースデー


 ナベケンが言うには、彼はちっとも酒の名前を覚えないのだそうである。ワインにせよ、焼酎にせよ。そりゃまあ、いっつもウーロンハイやら緑茶ハイやらで8時間ぐらい飲んじゃうような男ではある。とはいえ、そこは感性の人なのだから、美味い不味い、旨かった旨くなかったということには敏感であろうと思われる。でも、誰かに勧められて飲んだ焼酎のロックがどえりゃあ旨かったとしても、名前はあんまり覚えないのだという。どうもそこんとこの興味そのものが薄弱のようなのである。


 ワタシは考えた。ワタシは編集者という職業上、そういう「ちょっとした情報」には敏感だ。いや、ハッキリいえば「ちょっとした情報」だけに敏感なのだ。その集積が自分である。もうね、歩く小ネタ。小引き出しだらけ。香港の漢方薬屋さんのごとし。そういう体質だから編集けもの道へと分け入ったのか、編集仕事四半世紀超の経年変化なのかは、ニワトリと卵である。


 一方、ナベケンはアーティストである。アーティストにとって情報とは、すなわち「自分」である。自分から生まれる情報を出力する立場なのである。つまるところ、ナベケンは酒を呑みながら「自分を見ている」のではなかろうか。そしてワタシは「酒を見ている」のだ。これは街を歩いていても、メシを喰っても、立ち読みしても、同じことなのだ。酒のラベルがそこにあれば読み、看板に目をこらし、食材の蘊蓄を聞き、小引き出しをパンパンにしている。音楽の聴き方でも、ナベケンとナベタスでは、どうもそこんとこに差があって、それが面白い。


 たぶんナベケンは、空も忙しいねえ、なんていいながら、空を見ているようでいて「自分を見ている」人なのだろうと思うのである。自分のことを棚に上げられない人なのである。ワタシはといえば、空を眺めながら、雲の名前を思い出そうとしたり、思い出せなくて辞書を引いたりするような人間なのである。


 まあ、もうひとり、最近話をしたアーティストである福山雅治さんは、現在シングルモルトにはまっていたりして、すんごい勢いで勉強に勉強を重ねていたりするらしい。なので、一概にアーティストっていうくくりでもないわけなんだけど。そこまでしてしまう、のめりこめる、という意味では、やはり自分のことを棚に上げられない人なのかもしれない。


 いずれにしても、今夜もどこかの酒場では「酒を見る人」と「自分を見る人」が仲良く肩を並べて一献をかたむけたり倒したり話し合ったり合わなかったり棚に上げたり下げたりしているわけですな。焼きトンとか食べながら。おしまい。



人気ブログランキングへ