脱いだらすごいのよ

代替文


 渡辺祐=48歳。プリンス=49歳。脱ぎがちだったのだが、ここのところは脱いでない。いやまあだからどうしたってこともないんですが(笑)。事務所で「VOW MEGA-MIX!!?」(1988年刊)をパラパラ見ていたら、川勝正幸さんと押切伸一さんがVOWを分析する、というページにて岡崎京子さんがワタシのことを描いてらっしゃるイラストに再遭遇。あはははは。つい仕事の手を休めて脱衣について物思い。
LOVESEXY   Planet Earth←『Planet Earth


 ワタシが人前で最後に脱衣したのは40歳の誕生パーティーだったので、すでに8年前のことである。深夜12時、カウントダウンと共に台湾料理店のテーブルの上に上がってズボンを脱いだわけですが、下半身丸出しのまんまお集まりの皆さまに深々とおじぎをした関係上、真後ろにいた方々には水戸のご老公が丸見え。大変にお見苦しいパーツを開帳することとなりました。こうして8年が経過した今でも心苦しい思いでいっぱいであります。ま、それ以上にお集まりの女性の皆さまにおかれましては「いろんな意味であきれる」事態だったと思います。粗品


 そのパーティー以上に公に脱衣したのは「宝島」誌のVOWの編集を引退した折、誌面に「引退記念ヌード」を発表した時か。まったくもって腕白だったなあ、80年代&90年代初頭。なにしろそのVOWの中では「お尻の写真を見て誰だか当てるクイズ」なるものを企画しておりました。まずお尻の写真(もちろんズボンを下ろしてナマケツ)を掲載(ヒント付き)、次号でケツ出しながら笑ってる顔が入った写真を掲載するという(笑)。たしかワタシがサンプルとして登場したという記憶がありますが、その連載が始まった瞬間に「オレも出たいっすっ!」と速攻連絡してきたのがASA-CHANGだったということも記憶しております。7月3日生まれと7月4日生まれ。蟹座2名、バカがこんがらがっております(笑)。


 ちなみに冒頭にあります画像は、みうらじゅんいとうせいこう両氏が勝手に描いてくれた「渡辺祐裸像」です。ワタシが頼んだわけではありません。

渡辺祐駄文蔵出し「ねずみ穴はやったんべえな」】


 ヒトは「何を隠して、何を隠さず」なのかについて考えます。


 まず基本的にはカラダは隠す。最近はヒップハングでハンケツな女子とか、乳間ネックレスがどうしたこうしたで谷間見せてるNIKITAエロガンスなお姐さまといった「はみ出し気味」な方も巷には見受けられますが、まあ、ハンケツならね、といった感じで、戦略上さらに重要拠点と目されるエリアは隠されております。


 逆に洋服、つまりカラダを隠している布(主に)は、隠すどころか、どんどん見て欲しいのであります。というか、見られることを大前提に選ばれているといった方が正確でしょう。この場合、服そのものを見せる、というのは当たり前、特に先に書いたヒップハングやエロガンス系の女性の場合は、服の中にあるバディラインは見せることに腐心されているようなので、そういう意味では、ナマじゃないけどカラダを見せている、というのに限りなく近い。レーザーラモンHGの衣装にも近いものを感じます。つまり、実は人類はどんどんカラダを見せる方に向かっているといっても華厳の滝ではないでしょう。先祖帰りです。


 他にも見せているもの、見られることを前提に選んでいるものといえば、女性はバッグ、アクセサリー、靴などなど。携帯電話のデコレーションなどはまさにその好例。男性ではクルマ、腕時計あたりでしょうか。カラダの外側にあるもの全般にわたって、わたしたちは「見せること=見られること」と無縁ではいられない。


 見せる、ということは、つまり主張するということであります。自己主張。ヒトはそこにデザインという感覚を持ちこんだわけですね。例えばツバメが巣を作るのにデザインのいい枝を集める、ということはない。エドカリが貝殻をデザインで選ぶってこともない、ないよね、たぶん。オレってやっぱりロックンローラーだからさあ、スクエアな貝は着たくないわけっすよ、みたいな。
 ということは、今やヒトはカラダもデザインする時代になっちゃったわけですね。太ってるヒトは痩せるというデザインを取り入れる。ハゲてるヒトはヘアフォーライフ


 さて、本題である「何を隠して、何を隠さず」なのか、という問題ですが、カラダさえデザインして隠さないという現代社会においてもなお、みんながみんなこぞって隠していることがある。それこそが「読んでいる本の表紙」であります。隠してますよね、電車の中で観察しても、みんなカヴァーしてる。本屋さんでかけてくれる紙のカヴァーもいれば、革製の5,000円ぐらいするカヴァーのヒトもいる。とにかくカヴァーだ。隠す隠す。雑誌は平気なのに本は隠す。本は「戦略上の重要拠点」ぐらい隠れている。パンツを履いた文庫本だ。


 これは何故なのか。恥ずかしいのか。ヴィトンのバッグや雑誌は恥ずかしくなくて、読んでる本は恥ずかしいというのは、どこがどう違うのか。考えてみるに、恐らく「本」というのは、自分自身、すなわちハダカのワタシに近い存在なのであります。本の表紙を見られることには、いってみれば「頭の中」をヌードにされるような意識があるのではないか外科小児科。頭の中はできれば隠しておきたいのです。ああ、それが人間。そういえばコンサートの帰りにでかいツアーパンフとか持って電車に乗るのもちょっとイヤですね。アレも同じ心理のような気がする。アソコと脳味噌を隠すホモサピエンス。こうして文庫にはカヴァーをかけてるのにハンケツをお出しの女性のことを我々の業界では「頭隠して尻隠さず」と申します。グラッチェ・ピース。


 そんなことを考えながら、先日、電車に乗っていたところ、隣に座った女性が、やはりカヴァーをかけた本を出して気取って読みはじめたので、ちょっと気になって覗いてみたら、なんと「こち亀」でした。しみじみする秋のエピソードです。


(初出:2005年11月@J-WAVE e-STATION TASKBAR)