歌詞カードを見ながら聴いてみた

「(放射能を)気にしていたら日常生活が送れない」という時の「気にする」は自分の気のことであります。それは個人の自由です。思考停止も自由と言えば自由。なので、それでいいのだ、と言うこともできますな。

 がしかし「気を配る」という意味での気は、自分のことだけではない。それは別に誰かのために献身するということではなく(それはそれで素晴らしいのですが)、「時代の気を知り、気を配る」ことが、ひいては自分の気を整えることになると思うからでして。

 ざっくり言えば、少なくとも「空気を読む」ことはすべしと。ワタシは表現者でも評論家でもなく「紹介業者」なので、そこに敏感で姑息なので、特にそう思うのかもしれませんが。

 空気さえ読めていて、少しだけ勉強もしていれば、笑うことも、休むことも、ましてや食事も雲古もできるから、日常生活は送れるし。

 厳しいことですが、日本に住む人(いや、動物や植物もか)は、今回の震災、津波、そして原発の存在によって「命を削られて」しまった。実際に命を落とした方もいれば、「人生の時間を削られた」人もいる。後者は全員だ。それは被災地に限らない。絶対多数だす。「これからも削られ続ける」人(いや、動物や植物もだ。土も空気も海も川もだ)は無数すぎて考えたくもない。ほら、ちょっと思考停止ねボクも。

 責任者出てこい、と人生幸朗師匠のように腕を振り上げもする。だって、取り返しの付かないことを起こしたことの元栓を閉めて、取り返しのつくことを取り返すにはそれしかないんだから。そのためには「この国の空気」を読まないといけない。取り返しを付けられなかった自分は自分で噛みしめてね。

 といったことを思いながら、山下達郎さんのニュー・アルバム『Ray Of Hope』のサンプル盤を聴く。これが、見事なまでに「歌詞」のアルバムだった。もちろんメロディーもサウンド・アレンジも録音技術も最上質なのは言うまでもないとして(って言わないと叱られそう:笑)。ここから先はいちおう週刊朝日にも書いたので(来週発売)、これぐらいにしますが、震災以前に書かれた曲も、すべて「震災後の空気」に寄り添うのだった。クリビツ。

 資料を読んでいたら、達郎さん自身の文章にこうありました。

音楽に限らず、あらゆる文化は平和でなくては成立しません。私が今の商売をノホホンとやっていられるのも、革命とか、何か大きな社会状況の変化があるまでのことと、常々思ってやって来ましたので、その点の覚悟はできていますが、いよいよ来るものが来たというのが実感です。

まあ、音楽屋としては実に良い時代を生きられましたので、何の不満もありません。
これからは、せいぜい人のために尽くそうと思っています。


(『Ray Of Hope』制作ノート「それでも音楽は続いていく」という山下達郎さんの文章から抜粋引用させていただきました。全文はこちらのサイトに掲載されています)
http://wmg.jp/tatsuro/comment.html

 やっぱ、すげーよ。この期に及んで、じゃなくて「この気に」及んで。

Ray Of Hope (初回限定盤)

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