余談と余興と余韻で半世紀


 まだまだ続くぞ年末進行。今日は来週の取材が飛ぶかもという緊急事態で電話がじゃんじゃん鳴ってひいこら。そんな中、[ビルボードライブ東京]案件の撮影でミッドタウン。忙中閑ありで[yao ESTAbLISH]でランチなんかしちゃったりして(ここのボスはちょっと知り合いなのです。下記の本書いてはる)。ああ、こういう時にもパソコンとか使ってじゃんじゃん仕事しちゃうような「イケてる編集者」になってみたかったもんだねー、と一瞬思いましたが、ちっともなりたくありませんでした。つうか、それ「イケて」ないもんなあ。

プロデュースする人

プロデュースする人


「無理・無駄・ムラ」を無くせと「効率家」の皆さんが声高に書いたり講演したりなさいますが(トヨタ方式でしたっけ?)、ワタシの場合、まさに「余談・余興・余韻」で51年のスキマ産業。いや、仕事の段取りはいいんですよ。ただね、そこに「余談・余興・余韻」をどうしても入れちゃう癖なので、結局きゅうきゅうで「余暇」が生まれない(笑)。いや、余談をはさむために段取りをよくしているのか? だとすれば全部が「余暇」へと向かっているのか? ウラオモテ? メビウスの帯的な話か? クラインの壺? 知ってます?


 畢竟、ワタシは「仕事」と「個人」がねじれた次元の空間に生きているということを痛烈に感じましたが、忙しいので、それももう忘れました。なんじゃそりゃ〜。