携帯とヒゲと薄毛とマイケル


 ジャーメインが思いの外、歌えていたことにちょっとビックリしたわあ。それにしても「黒人的」な集いだったなあ。ゴスペル祭りだ。

【こんなストリーミングの情報も!】

http://www.ustream.tv/channel/CBS-News


 先日、半日ほど携帯電話を見失っていたのである。すぐに在りかは判ったものの、それを取りに行く時間がない。バタバタしていたので、なるべく最短で行けるルートを探ろうとして、携帯でNAVITIMEを見ようとしたら、その携帯が手元に無かった。そりゃそうだ。携帯を取りに行くために携帯を探してしまった。あはは。笑い話のようだが、ワタシは取りに行った後で、そのルートを探索してみたりした。粗忽長屋的な行動である。携帯はそこに在るんだけど、ココには無くて、ココにあるはずの携帯はアソコにあるんだから、じゃあ、それを取ってから調べればいいんじゃないのかって……バカもこんがらがるとややこしい。

 ココに無い携帯の「不在の存在」がワタシを混乱させちゃうのである。

 その半日間は、久しぶりに猛烈に公衆電話のお世話になった。そうなると周囲の人間は着信画面に「公衆電話」と出ていればワタシからだとわかるわけで、じゃあ「渡辺祐」と出ているのと変わらないじゃん、なのである。これもまた「携帯の不在が存在になった」例である。

 困ったのは、先日お世話になったカメラマンさんの事務所に写真の返却に趣いた際、マンションの部屋番号がわかんなくなっちゃったのである。オートロックのエントランスで部屋を呼び出せない。携帯には入っていたのだが、そんなの記憶しているわけがない。しかも、そこは瀟洒なマンション過ぎて入口にネームプレートがないのですう。いやはや。ま、しょうがないので事務所に電話して調べてもらおっと、と思って外に出たら、いきなり公衆電話があった。やったあ。ドア開ける。10円玉取り出す。今日ほど10円玉が愛おしい日も珍しいぜえ。あり? 10円玉が入るはずのスロットが……ない! よく見たら「テレフォンカード専用」だった。きゃあ、そんなの持ってないわよお。

 思わずワタシは「在るはずのないテレフォンカード」を財布の中で探してしまった。「不在」のチカラは大きい。

 一度でもヒゲを生やしたことのある人ならば、それを「剃った日」のやるせないほどの「空白」を知っているに違いない。おひげが不在となった時の、鼻の下の、口の上の、その空間のなんと間抜けなことか。鼻の下って長いねどうも。メガネもそういう気持ちにさせることがある。そう考えると、ワタシなんぞは、ヒゲを剃って、メガネはずしちゃったら、顔がからっぽだわね。意外と濃いけど。

 ああ、そうか、ハゲもまた然りか。在ったはずの毛がないという「不在の存在」が、このなんとも切ない痛々しさの素じゃないのか。存在の不在の耐えられない軽さなんじゃなかろうかしらん。

 こうしてワタシは、そこに「在った」ものが「無くなる」ということについて考えてみたのである。と、ここでパンとお茶で休憩。

 これでも見ますか。
 
 



人気ブログランキングへ